本「小さな幸せがみつかる世界のおまじない」にめぐりあって

もう本屋さんで一目見たときから、購入の予感がしてた。素敵な本。

 

「小さな幸せがみつかる世界のおまじない」

 

世界のいろんなおまじないが亀井英里さん(  ERI KAMEI illustration)の素敵なイラストとともに紹介されてる。

 

まだ全部読めてないけど、ゆっくりじっくり味わいたい。

一息つきたいとき、自分が心ときめくことに触れたいとき、

この本をめくるたび、ちょっとハッピーになれちゃうような気がする。

 

 

以下おまじないの例。

 

ヨーロッパに広く分布する「キバナノクリンザクラ」は春にかわいらしい花を咲かせるそう。房が鍵の束を連想させ、聖ペテロが天国の鍵を落とした場所から生えたという伝承がある。ドイツでは「ヒンメル・シュリュッセル(天国の鍵)」と言われている。この花に願いをかけたら、宝物の扉の鍵を開けることができるという話も。

 

 

もうこれだけでため息が出るほどステキ。

 

たかがおまじない。されどおまじない。実際に叶うとか効果があるとかじゃなくて知ってるだけで、ちょっと思い出してみるだけで、私の日常が彩られる。

 

私が好きな小説にも出てきた、花嫁に縁起がよいとされるおまじないが紹介されてて、あー、これこの国に伝わるものだったんだってわかったらうれしくなった。

 

心ときめく言い伝えを知る。文化の違いにわくわくする。

 

いいものに触れる時間で私が今日もつくられてく。

 

 

「小さな幸せがみつかる世界のおまじない」

https://pie.co.jp/book/i/5285

アイドル……それは偶像?

高校生の時、倫理の授業で、「アイドル(idol)」の語源は「イドラ(偏見、先入観)」だと習った。

 

 

「アイドルは偶像という意味なのだ」と先生が言ったときの衝撃ったらなかった。ガツンと鈍器で殴られたみたいだった。

 

 

私が大好きで応援しているアイドルは、たしかに私と同じ時代に存在しているはずなのに、偶像だなんて。すごく突き放された感じがしたんだと思う。大好きなこと自体も否定されたような。悲しかった、たぶん「偶像」という言葉が。

 

 

「偶像」とは小学館の『デジタル大辞泉』によれば、

 

① 木・石・土・金属で作った像。

② 神仏をかたどった、信仰の対象となる像。

③ あこがれや崇拝の対象となるもの。「若者の―」

 

である。

高校の時から数年経って、私は「偶像」という言葉を、「あると信じてるけど、実際にはないもの」的な感じに受け取っている。

 

 でも偶像という意味のアイドルもファンの目がないところでは、現実を生きてる人間で、確かに存在するはずで。

私はアイドルに元気をもらったり、救われたりするけれど、じゃあその人たちに癒しを与えるのはだあれ?

って思ってしまうんだ。

その人たちのそばに、癒しの存在が、その人たちの救いの助けになるような存在が、あることを願ってやまない。

 

 

あの人の身近な世界がやさしくありますように。

 

 

 

でも、どこかの面がたとえ嘘や見せかけだとしても、その人の一部であることに変わりはなく。人間が一つの側面しか持ってないなんてことはないから。

全部受け止めきれるとは限らないけれど、それでもやさしくありたいと思ってしまう。

 

色眼鏡なしに生きられないなら、それを思う存分楽しめたらいい。

 

 

 

 

 

最近見た映画〜子どもの頃の不思議な輝き〜

 最近見た映画で印象に残っているのは?

 

 そう聞かれたら、たぶん私はこう答える。

 

 

 『アトランティスのこころ

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 なんで印象に残っているのか

 

 って聞かれたら、私はこう答える。

 

 

 「子どもの頃にしか体験できない不思議な輝きが描写されていたから」

 

 

 その不思議な輝きって私で言えば、

 

友達と段ボール持ち寄って「じゃ、ここ秘密基地ね! 」って笑い合った瞬間とか、

 

いとこと土手でそりすべりならぬ段ボールすべりしたときの高揚感とか、

 

校庭の遊具でキャッキャしてたときのこと。

 

そんなことがずっと続くと無条件に信じられた短い日々に、確かにあった輝き。

 

 

 あの頃の私たちしか体験できない感情と、大人は介入できないどこか秘密めいた空気

は不思議な輝きとなってあの映画に表現されていた。

 

 

 私は、それを再び体感することができないからこそ、まぶしくてうらやましくなってしまうのだ。

 

 けれど、当時のあたたかな記憶を思い出させてくれた映画に感謝したくなって文章を綴っているのかもしれない。

 

あたたかな記憶は人の心をあたたかくしてくれるから。

 

 

 私は人生のすべての時間が幸せにあふれたものでなくともいいと思っている。

一部分に、子ども時代のような幸せな時間があったなら、死ぬときに私の人生は幸せだ

ったなあと思えるだろうから。